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ShortShort 2000年2月日記に掲載

オブジェクト指向

「人類の歴史は、分類の歴史である。」
 私が常日頃から感じていることだ。そもそも人はある事象を捉えるときに、まずその事象がどういうジャンルに当てはまるのかを分類する。自分に関係の強いものであるか、それは生きていくために必要不可欠な事柄か、人間に関することか、それとも動物か、植物か。
 その分類をしたのち、分類を見て「これは○○に関する事象だ」と、大局的な視野から順に、その裾野へと降りていく。つまり、より細かな分析に入るのである。
 言語学的視野から見ても、それぞれの文化圏における名詞の有無などの例から明らかである。名前は、それを言葉に出して表現する場合の最小の構成要素だ。人と人とが相互の誤解無くコミュニケートが可能なのは、事象に対する共通の認識と、その名称を知っているからこそ成り立つのだ。
 例えば、「ホウジャク」と言われてピンとこない人に、「それは蜂の一種」と説明してやれば、なるほどそういうことかと納得してもらえる。蜂という分類が共通の認知として存在しているからだ。
 これが「蜂ってなに」と言われるような無知な人であれば、もう一段階上の抽象された段階にさかのぼる必要がある。
 「昆虫で、羽が2対あって、雌は毒針を持っていて人を刺すことがある」と、その外観や特徴を説明して、それらをまとめて「蜂」と呼んでいることを説明せねばなるまい。
 生物学や動物学といった学問はまさにこれらの名称を必死になって一意に定めようというもくろみから始まっていると考える。

 そもそも人間にとって不必要な事柄に名称など必要ないのだ。抽象化された一般的な俗称を知っていれば、分類学上の細かな学識名称を覚えなくともコミュニケーションに不都合はない。
 これは、南国に、冬の寒い時期に用いるような言葉は必要なく、海に接していない内陸部に、津波やそれに関する警告などの専門用語も必要ないということでもある。
 言葉というものは、それぞれの文化、時代背景、地理的状況、気候、など、様々な面から多岐に枝分かれして、膨大なバリエーションを生み出していると言える。
 一般に外国語を学ぶのが困難なのは、そうした言葉が生まれる背景を知らずして、言葉だけを追いかけようとするからである。

 また、新しい技術分野において、人々が新しい名称の登場に混乱するのは、それぞれの人に「分類上の位置」が伝わっていないからだと私は強く言いたい。
 最近めざましい発展を遂げるコンピュータの世界で、優秀な開発者が育たないのもまた、日々乱立し増殖する新しい言葉が、全く分類もされずに開発者に提示されていることが問題である。
 これを回避するもくろみとして、ようやく最近それらしくなってきたOOPというパラダイムもまた、人間がもともと「分類して認知する」と考える、私の理屈に大きくかなっている。オブジェクト同士の相互作用に基づいて、アプリケーションプログラムを構築しようと言うのは、まさに自然な流れである。
 彼らはもっと、分類学を学ぶべきだと私は思う。
 それでなくして、私の求めるような、熱く、燃えるようなメガネっ娘類に属するギャルゲーが生まれてこないではないか!!
 メガネっ娘、万歳!!

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