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ShortNovel
〜2001年3月掲載開始
さくら
1街には大きな老木があった。街のはずれ。街を一望できる高台に突き出るようにして生えている。樹齢は300年を越えているだろうか。実際、老木は疲れ果てた印象だった。枝には一枚の葉もつけていない。誰にも手入れをしてもらえず、ボロボロになった表皮が、かさぶたのようで痛々しい。
高台は空き地のとでもいうのか、小さな広場になっていた。その広場の端につきだして老木が立っており、その反対側は自動車が1台、やっと通れるような細い路地が面していた。
その路地を使う人を、老木は一人しか知らなかった。年老いて、記憶には些かの自信もないが、記憶が確かであれば…
『酒向周二』
老木が何気なくその名前を想像すると、周二が目の前の路地に現れてつぶやく。
「じーちゃん、相変わらずだなぁ」
老木は周二に分からない微妙な変化をした。擬人化すれば、微笑んだのかも知れない。2
「いってくる」
小学生の割に無愛想な朝の挨拶ののち、酒向周二は学校に出かけた。あちこちがボロボロになり、主人の体の成長に合わせられなくなったランドセルが居心地悪そうに、その背中にあった。
このあたりには周二以外の小学生が居なかった。山を切り開いて出来たこの丘には、周二の家以外に3件の建物しかなく、そこに住んでいる人たちは皆、年老いた老人ばかり。別に田舎というわけではない。現にこの山を下って街にでれば、小学生達が安全のために集団登校している様子を見ることができた。
そして、彼らが向かう先には、全校児童1500人の、少子化が叫ばれる今になっては珍しく大人数の学校があった。 周二は地理的状況を考慮され、毎日一人で登下校を繰り返していた。
当然、今日も一人で学校へ登校する。山の中に走る獣道のような細い道を、慣れた足取りで下っていく。途中、鎖につながれた犬に、家から持ってきたパンの切れ端をやって、無我夢中でそれを食べる犬の頭を無造作になで、ポンポンと二度叩いたあと、再び山道を下る。しばらく行くと、今度は日なたで眠っている猫に声をかけ、小魚を2匹やりながら首をなでて、そのまま駆け出す。
体温の上昇した周二の口からは、真っ白な息が漏れる。
2月。一番冷え込みの厳しい時期だった。
周二の足が止まった。山道が開け、東から差し込む柔らかい朝日に目を眩ませる。目の前には小さな広場と、その先に大きな老木があった。
「じーちゃん、相変わらずだなぁ」
周二の繰り返される日常のなかで、唯一何の変化も見せない老木に声をかける。周二が物心つく以前からそこにあった老木。そして、何年経っても、まるで時間が止まっているかのように毎日同じ姿をしている老木。
多分、この老木のことを気にとめる者は誰一人としていないだろう。それくらいにみすぼらしい老木。
周二は数秒間、その老木を眺めると、また早足で丘を下り始めた。3
その日の午後、授業が予定通り終わると、周二は早々と帰り支度をして学校を出た。特別な用事があるわけではないが、山頂にある自宅まで帰るのに、片道1時間はかかる周二にとって、日常と言えた。
今日ももう帰り? と声をかけてくるクラスメイトにうなずいて答え、そのまま元気良く飛び出していった。そのままの軽い足取りで山へ続く道を登り始める。
毎日欠かすことなく走り込んだ足腰は、上り坂をものともせずに良く動いた。ペースを崩さずに山を登っていく。途中、老木の所を駆け抜けようとした時、軽やかだった足取りが止まった。誰かに呼ばれているような気がして辺りを見渡す。視線の先、老木の元に、大きな塊があった。
好奇心をくすぐられた少年は、広場を横切って幹に近づく。近づいて行くにつれて次第に形がはっきりしてきた。
人だ。
周二はさらに近づいて、顔をのぞき込むようにしてしゃがんだ。
年齢は周二と同じくらい、小柄でショートカットの女の子だった。
「か、かわい…」
周二の第一声はそれであった。1分ほど、目を閉じて横になっている女の子の顔をのぞき込んだままの形で硬直する。目視による呼吸の確認をしているわけではない。単に、見とれているだけだろう。急に何を思ったか手近にあった枯れ木を手に取ると、少女の頬をつつく。
「おーい、こんなところで寝てると風邪ひくよ〜」
顔色から、死んでいるわけではなさそうだ。それでも2月のこの寒い時に外で眠っていたら、風邪をひくのも時間の問題だろう。枯れ木に何度も顔をつつかれても起きない少女に、さらに興味をかき立てられた周二は、自分の手を服で拭ったあと、少女の頬をつまんだ。
そして頬を横に引っ張ったり放したりと、こねくり回して遊ぶ。柔らかい。片手を放して自分の頬と比べてみる。あきらかに少女の頬の方が弾力性があり柔らかかった。周二がしきりに関心しているその時、少女が動いた。
「ムニュー。痛ひよ」
周二は固まった。少女が目を開く。周二と目が合う。周二は自身の頬を間抜けに延ばしたまま硬直している。少女は周二の腕が自分に伸びていることに気づく。さらにその手が、少女自身の頬を延ばしている事にも気づく。しばしの沈黙。嵐の前の静けさ。悲鳴は近い。周二はとっさに
「こ、こふなほころ…」
自分の手が頬を延ばしているのに気づいてあわてて手を放し、言い直し。
「こんなところで寝てると風邪引くよ」
そしてまた硬直。少女は周二から離れようと後ずさりを始める。しかし、不運なことに周二のもう一方の手が、依然少女の頬をつまんだままだった。
「う、うわっ」
つま先立ちでしゃがんでいた不安定な周二が、引きずられるようにして倒れ込み、二人はぺたんと重なる。
周二は再び固まっていた。鼻をくすぐるシャンプーの香りに気づく。
「お、重いよ…」
少女が言う。あわてて体を引き剥がす周二。
「ごめん」
周二はばつが悪そうに少女に背を向けて、正座する格好で姿勢を正した。後ろで少女が立ち上がり、服に付いた砂を払っている音が聞こえる。そして、背を伸ばした周二のすぐ隣に体育座りで座り直すと問いかけた。
「あたし、木下さくらって言うの。あなたは?」
硬直している周二の耳には猫の鳴き声しか聞こえていなかった。実際には耳に入っていたが、それを自分に対する質問だと受け止めるのに、5分かかった。さくらと名乗る少女はその間、何も言わずに空を眺めていた。
「酒向周二…」
「周二君?よろしくね。」
「う、うん。」
少女はなおも空を眺め続け、周二は上の空だった。というより、単に足がしびれていた。
「あたし、最近ここがお気に入りなんだよ。ここの眺め、すごく綺麗だと思わない?」
「うん」
周二は質問の内容を理解するまえに答えていた。年に数回も正座をしない足は、もう限界に達している。この前正座をしたのは祖父の七回忌だっただろうか。坊さんの説教がやたらと長く、泣きそうな顔で我慢していたのは彼の秘密だ。
「あとね、この桜の木に上って眺める景色も、すっごく素敵だと思うでしょ?」
実際、この丘からの眺めはなかなか爽快だった。地上20階立てマンションのベランダから街を眺める感じと言ったらわかりやすいだろうか。実際にはそこまで高低差はないにしても、ここからの眺めは、確かに一見の価値はある。ただ、周二はこの老木のことが桜だとは知らなかった。幼い頃からずっと見てきたが、一度もそれらしい花を咲かせたことはなかったから、ただ単なる老木としてしか見ていなかったのだ。そして、その疑問が文章になる前に口からでた。
「さくら?」
「なに?」
自分の名を呼ばれたと勘違いしたさくらは、笑顔で周二の方へ向く。周二はいまだに姿勢を正したまま明後日の方向を向いており、さくらから顔色をうかがうことは出来ない。周二の奇妙な質問の意図に気づいたさくらは、今度は眼下を眺めて語り始める。
「うん。桜だよ。おばあちゃんだけどね。」
硬直していた周二が反応する。
「ばーちゃんじゃないよ。じーちゃんだよ。」
些細なことだった。周二は昔、よく祖父と一緒にこの樹を見に来ていた。だから今は亡き祖父とこの年老いた樹を重ねてみているのかも知れない。
「そっか。おじいさんだったんだ。」
会話がとぎれた。少女は飛び去っていく鳥の群を目で追いかけながら過ごし、少年は震えながら正座を続けた。
辺りが急ぎ足で暗くなりはじめると、少女はぴょんと立ち上がった。
「あたし、そろそろ帰らなくちゃ。お母さんも心配するし。周二君、そこまで一緒に帰ろっか?」
コクコク。周二はうなずく。しかし動かない。
「ちょっとね、足が…」
「大丈夫?立てる?手、貸そうか?」
そう言いながら周二の正面に歩みをすすめて手を差し出す。
「平気。立てるよ。」
1時間以上正座を続けて大丈夫だとは思えなかったが、周二は果敢にも一人で立ち上がろうとした。少女に余裕のあるところを見せようと、勢いよく立ち上がる。はずだった。
彼の足首は自分の意図とは無関係に力無く内側を向いており、足は大地を踏みしめていなかった。バランスを崩した少年は目の前にあった少女に無意識のうちに飛びつく。
「きゃっ」
少年は無様に倒れた。飛びつかれた少女は倒れなかった。しかし、少年に、履いていたスカートを盗まれた。
その後少女は少年を「くすぐりの刑」に処し、強烈にしびれた足をこれでもかと言うほどくすぐった。
そして横隔膜を激しく揺さぶられ、呼吸困難に陥った少年を見捨てて帰った。
大の字になって空を仰ぐ少年の顔に、はらはらと雪が降る。少年は心ここにあらずと言った風につぶやいた。
「…白…」
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