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LightNovel
2000年3月日記より連載中

バニシングスタークルーザー

第一話

 売り文句と全然違った。
「ついに出た!! 宇宙で絶対に迷わない、アクティブコンパス!! このお値段でこの性能!! しかも、現在の絶対座標を表示するADPSM、アブソリュート・ディスプレイ・ポジション・システム・モジュール搭載。どんな空間認識力のあなたでも、これで安全に自分の星まで帰ることが出来ます。しかも、宇宙船への取り付けも簡単。この付属のジョイントカードと、宇宙船の拡張スロットとを接続するだけ。あとは宇宙船から20KM離れた場所までは、自由に持ち運びが可能です」
 偶然見かけた立体テレビショッピングで、巧みに計算された売り文句に、まんまとだまされた。
 僕が住んでいる星、コーリス星は、「超」が20000個くらい付く、へんぴな星だ。つい最近、植民星管理協会に、正式な植民星として認められたばかりで、十分な食料調達手段すら確立されていない。
 人口約200人のコーリス人は、数ヶ月に一度、一番近い大都市星キューブに家族をあげて買い出しに出かける。
 僕は宇宙船普通航行免許を取った記念と、いつも船を操舵している親父の体調不良を理由に、比較的航路の安定している、その買い出しの運転を任されたのだった。
「なに、たった2.6パーセクだ。それにほとんどはオートパイロットだしな」
 親父の台詞にも、まんまとだまされた。
 ワープ航法が一般的になったとはいえ、2.6パーセクも離れた星へ行くのは簡単なことではない。何せ、バニシング・リングと呼ばれるワープポイントまでは、通常の燃料推進ロケットで加速しなければならない。
 バニシングリングに突っ込んでしまえば、対になっている反対側のリングまで、勝手に落ちていく。

 簡単な事だって??
 コーリスから最近のバニシングリングまで、大体1.5AUもあるんだぞ??
 それは良くある例えで言えば、広い砂漠の中から、1粒の特定の砂粒を見つけだすのと同じくらい難しい。確かに、大体の座標は分かっているので砂漠というよりは、公園の砂場くらいの規模ではあるが…。

 僕を不安にさせるのは、それだけじゃない。
 リングはより安全なバニシングポイントに位置するように、絶えず複雑な軌道を描いて落ちている。そこに向けて船をとばすのは、最終的には手作業になる。それだけ緻密な操作を、20年も昔に作られたこのボロ宇宙船はしてくれない(逆に言えば、最新の宇宙船は、それくらい勝手にやってくれる)。
 それを宇宙船操舵歴数ヶ月にも満たない俺にやれってのか??
 狂ってるよ。この親父は…。
 というわけで、僕はずっとふてくされていたのだ。

 話を元に戻そう。とどのつまり、今僕は、まるで見知らぬ空間に一人で浮かんでいるのだ。
 いや、もっと悪いことに、落ち続けている。現に、通信販売で買ったアクティブコンパスに表示される座標は、光速の20%の速度で落ち続けていると示している。
 もっとも、そのアクティブコンパスの表示を信じるならば…だが。
 このコンパスはくせ者で、近辺の主要惑星との相対座標から絶対座標を求める方式を使っていた。そのため、まだデータの登録されていない発展途上のコーリスではゴミくず同然だった。ぶっちゃけた話し、買ってから一度も「絶対座標」の表示を見たことがない。パネルの上にはいつも「N/A」の、それもレトロなLED表示がされているばかりだ。

 さて、今この宇宙船には、大体1ヶ月連続点火するだけのロケット燃料と、約1年分の食料と半年分の酸素がある。乗組員は僕一人。そして船はここ数日、ずっと光速20%で落ち続けているらしい(あくまで、このへっぽこコンパスの表示を信じるならばだぞ)。燃焼用の酸素を回せば、酸素は1年と数ヶ月はもつはずだ。
 通信機器系は、性能の悪い指向性直進型のマイクロ波が1基のみ。ずっと通信を続けているが、宇宙放射線の影響からかジャミングばかり。もともと単指向性の型のため、長距離通信には向いていないのも原因だ。要するに、使い物にはとうていなりそうもない。
 さて。どうしたものか。
 通販したコンパスにも、体調を崩した親父にも、文句を言えない。
 このままだといかんなぁ…。非常にまずいよ。
「……こ…ら、JSRスリー…オー、ミサキ…緊…事態に…りドッキ…グ要請……ちら…J…」
 突然、緊迫した女の子の声がヘッドセットに響く。


第二話

 僕はあわてて、飛んでくるマイクロ波に耳を澄ませた。
「こちら、JSRスリーワンオー、ミサキ。緊急事態によりドッキング要請!繰り返す…」
 この漆黒の闇の中をさまようのは、僕だけではなかったらしい。それは明らかに動揺した口調の、僕よりいくつか年下っぽい声の持ち主。しかも女の子だった。
「こちら、JSLトゥーエイトシックス、イクト。どうした?」
 そのまま距離計を注視する。その距離、250。すぐ近くだ。
「あっ、繋が…た! あの、燃料タ…クが…れて、推進剤が…火しそ……!」
「くそっ。ジャムってる! 聞こえない!」
「爆発しそ……のよ!!」
「えっ!?」
「だから、爆…寸…な…!!」
 不愉快なノイズに会話を遮られつつ、船間の距離は103まで接近。
 どうやら、危機的状況に追い込まれたからドッキングして避難させてほしいということらしい。
「とりあえず、チャンスは1回だ。それでドッキング出来なかったらサヨナラだ。いいか?」
「な…?聞こえ……わ!」
「いいから、ドッキングしてやるって!」
「あ、ありがとう!」
 何もないはずの宇宙空間でこれだけ雑音が乗るのは、僕が乗っている宇宙船が、規格はずれもいいとこの数世代前の通信機を積んでいるためだった。
 相手宇宙船との相対速度は光速の約10%。僕の宇宙船が、彼女の宇宙船を追い越そうとしている格好だ。とりあえず僕はすぐにブースターに火を付けて、相対速度をゆっくりとゼロにする。
「こっちで速度をあわせるから、そっちでドッキングできるか?」
「うん。出来ると思う。やってみる」
 距離が50を切って、通信感度が鮮明になる。
「よし。そっちの船体を肉眼で確認した。もう少しだ。」
「こちらも確認。ドッキング準備完了。いつでもいけるわ。」
「じゃ、こっちから指示を出す」
「おねがい」
 僕はパイロットシートにもう一度腰掛け直して、ゆっくりと二つの操縦桿を握る。
「よし。相対速度0%。これでロックする。ドッキング開始してくれ」
「了解。」
 目の前に現れた宇宙船を見て驚いた。新型も新型、超最新型のハイテク宇宙船だ。これは良く覚えていた。なんと言っても、あの、ポンコツコンパスを捕まされた、SpaceEquipment社の立体テレビショッピングで、しつこく宣伝していた、流行の船体だからだ。
 そして、その最新艦船尾のブースターには内側からの強い衝撃によって開けられた、黒い大穴が開いていた。何かの部品がブースト時に相当の圧縮率で吹っ飛んだらしい。すぐ脇にある燃料タンクから白い光の筋が走っている。漏れた燃料が宇宙空間の冷気にさらされて氷の結晶になっているのだ。
 しかし、その状態で、ドッキングするのはまずくないか??
 ちょっとしたショックで爆発しそうな雰囲気があからさまに見て取れる。
「待った、待った! ちょっと待った!」
「え??」
「後部エンジンから燃料漏れを確認してるんだけど…」
「知ってる!」
「じゃあ、ドッキングは駄目だ。今から着艦ハッチを開けるから、そこに向かって君の足で飛び降りてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!! そんなの無茶よ!」
「無理も何も、それ以外ないって!」
「そ、そんなぁ〜」
「ぐずぐずしてると、二人とも爆発に巻き込まれて死ぬぞ!?」
「う…わ、わかった…」
 そして、僕はすぐにハッチに向かった。


第三話

 首元にあるボタンを押して、宇宙空間に出る準備を整える。これで、20分は船外活動が可能だ。網膜を保護し、呼吸を可能にするフィルターが服の両サイドから現れる。
 ハッチに到着し、狭い空間に入った後、一気に空気を抜く。1分の後、すぐにハッチを開き、毎秒3万Kmの勢いで後方に流れていく宇宙空間が目前に広がった。
「ハッチを開けた! そっちは、どうなってる?」
「今、エア抜きしてるとこ!」
「わかった。ミサキ!」
「え?」
「あ、名前、間違ってた?」
「ううん。あってる。何?」
「40秒後から30秒間、安定した空間に出るから、そこで勝負だぞ。いいな?」
「え、ええ。」
 目の前に展開されるフィルターの表示を眺めながら、進路前方に障害物がないことを何度も確認した。
「大丈夫だ。だいたい200万キロ前方まで、塵一つないから。」
 そして、彼女が船から姿を現した。
「え…あ…」
 姿を現すなり、目測20メートル先にいる彼女は、がたがたと震え始めた。
「ポイントまであと20秒。行けるか?」
「…だ、だめ…。私…私…」
「おい、ミサキ! ポイントまであと10秒!!」
「いやだ。私、行けない! 行きたくない!!」
「ミサキ!! 来い!」
「………いけないよぅ」
「ポイント通過!」
 彼女はハッチのすぐ脇に着いている太い手すりにしがみついたまま、うなだれた。耳元のレシーバは、彼女の涙の量を想像させるに十分だった。
 その時、彼女の船に、さらなる悲劇が襲った。燃料の漏れていた後部エンジンの燃料噴射方向が、くるっと向きを変えたのだ。絶え間なく吹き続ける噴射の反作用で、わずかながら船の軌道が変わっていく。併走していた2つの船は、今少しずつ距離を開き始めていた。
「いやー! 助けて…怖いよぅ!!」
「くそっ! こっちのオートパイロットのプログラムチェンジしてる暇がない! ミサキ! 今から俺がそっちに行くから、待ってろ!」
「しにたくない…しにたくない…」
 お経のようなはっきりしない口調で、彼女は『死にたくない』という単語を繰り返した。恐怖のあまり、正気を保っていられなくなったのか…。
「これくらいのことで死ぬか!」
 強い口調で彼女に言うのと同時に、僕は舟板を大きく蹴った。それと時を同じくして、ヘッドフィルターに警告メッセージが表示される。『小隕石確認。接触まであと60秒』
 額に流れる冷や汗。彼女には言わない方がいいだろう…。


第四話

 はっきり言って、死ぬほど怖かった。口の中はカラカラに乾いていたし、自分が何をすべきなのか考えるも、頭は真っ白だった。ただ、がむしゃらに、思ったことを即行動に移していただけだった。
「あと5秒でそっちに着く!」
 無我夢中だった。見ず知らずの人のために、何もここまですることもないとは思った。でも、僕には無視して先に進むほどの勇気がなかった。後で後悔して、助けておけば良かったなんて嫌な思いに苛まれるのは避けたかった。そして何より、女の子を、放っておけなかった。
「…あがあがあが…」
 後少しでミサキに手が届くと言うところで、僕はガチョウかアヒルの鳴き声を聞いた。宇宙空間にそんなものが存在するわけがない。この奇妙な鳴き声の主は…当然、ミサキだった。彼女は僕の目の前で突然体を弓なりに反らすと、ガタガタと震えだした。精神許容を越えたストレスによる全身痙攣か、それとも呼吸システムに何らかのトラブルが起きたか?
 何にしても、非常にまずい状況であることは間違いない。急がねば!
 僕はミサキの乗るSpaceEquipment社最新鋭の宇宙船に手を伸ばし、なんとか彼女の元にたどり着いた。
「安定空間は…あと20秒。小隕石接触までは、あと40秒…」
 すぐさま、全身を硬直させているミサキを抱きかかえ、自分の体と自分の船をつなぐ命綱を巻き戻す。来たときよりもいくらか速い速度で二人は宇宙空間を横切った。
「あと10秒…」
 すぐにハッチの扉を閉める。ゆっくり閉まる扉が歯がゆい。
『警告。ハッチに異物が混入。』
「おい! 嘘だろ!?」
 扉は閉まらなかった。見ると、ミサキの腰からのびたミサキの命綱が、彼女の船と繋がっていた。
「な…どうして気が付かなかったんだよ! くそっ。こんなもの、レーザーカッターでもなきゃ、切断できねーぞ!」
 どうする? どうする?
 激しく思考を活性化させて、対処を考える。命綱の解除は、基本的に本人にしかできない。その本人はさっきよりは落ち着いていたが、まだ全身を硬直させたままだ。
 ヘッドフィルターの警告は、刻々と減算される。接触まであと25秒。
 もうだめか…。諦めの思考に入ったとき、ミサキが自ら命綱を解除した。
「…ご、めん…ね…」
 意識が戻ったらしい。助かった!! じゃまな命綱を黒い闇に放り出して、ハッチを閉じる。すぐに空気を送り出し、気圧を平滑化。その間に、手元に光るコンソールパネルからオートパイロットのプログラムチェンジをする。
「緊急停止!」
 コマンドの登録の直後、僕はミサキの体を抱きしめた。その後、急激な停止によるGが二人を襲う。ヘッドフィルターに表示される警告が、瞬時に解除された。
 数秒に渡る減速で、ミサキは再びブラックアウトした。僕はその体を医務室のベッドまでつれて行った。

 彼女が目を覚ますまでに、やることが増えた。
 なぜなら、手動操作による軌道の変更で、現在位置が分からなくなってしまったからだ。


第五話

 パイロットシートに戻った僕は、ただただ頭を抱えて考えあぐねていた。宇宙船標準装備のレーダーはどれも真っ白。近隣の惑星もわからず、現在位置も不明。通販で買ったADPSMは相変わらず『N/A』を表示していた。乗組員が一人増えたせいで、食料や酸素の残量も、想定していたほど長くは持たない。
 どれくらい考えていただろうか。夜も昼も区別のない宇宙空間での長考。僕はずいぶんと独り言を言っていたようだ。
「…あの。」
 後ろから声がかかった。深い思考の中をさまよっていたのですぐには反応できなかった。思考の計算結果をあちこちの記憶領域に放り出しつつ、現実の世界に戻り、声のした方向へ振り返る。
 そこには、真っ赤な宇宙服を着た小柄な女の子が立っていた。腰まで届くような長い黒髪は、きれいに頭の後ろでまとめられていて、宇宙船の発生させる重力に従って下に垂れていた。彼女が歩くたびに揺れ動く細い髪に、僕は不思議に魅入られた。
 彼女は、東洋系の優しい顔だった。
「もう体の方は大丈夫?」
 ありきたりな台詞をどうにか口に出すことに成功。
「あ、うん。さっきは、その、ありがと。」
「いや、いいよ。どうせ僕も漂流してるところだしね…」
 はぁ、と深いため息をついた。
「それって、どういうこと?」
 僕は今、この船の状況を、あらいざらい彼女に説明した。食料、酸素、燃料の残り、現在位置がつかめないこと、進行方向や、そのほか航行に必要な情報が、まったく手に入らないこと。
 彼女の顔が、みるみる蒼くなっていく。
「…最悪ね。って、これは私が言うべき台詞ではないけれど…。」
「いや、いいよ。この装備で宇宙に出てきた僕が悪い。」
「はー、やっぱり宇宙に出るには最新鋭の機体がいいわね〜。私の船が使えたらなぁ…」
「そうだよねぇ。設備がまるで違うもんね…」
 僕は、そう言いながら、頭の隅に何か気になるものがあるような気がした。ミサキの船…?? 最新型??? あれが使えたら??
「そうだよ! ミサキの船! アレが使えればいいんだ!」
「そーんな、思いついたように無理な事言わないでよ〜」
「いや、無理じゃない。がんばれば、可能性はあるよ!」
「そうなの? それで、どうやるの??」
「そうだな、おおよその概要はこんな感じになるかな」
 言いながらソーサーのキーを片手ではじく。50インチのフロントスクリーンが空中に現れて、現在の船の様子が宇宙平面図に描画される。
「えっと、これが今の状況。座標はわからないから、何もない宇宙平面に浮いていると考えて。」
 そして、ポインタで仮の宇宙船を二つ浮かべる。
「こっちが、僕の船。で、こっちのが君の船。君の船はおそらく今も光速の約10%で落下中だから、ここから1AU先にいるはず。まだ、爆発していなければ…だけどね」
「もしかして、それにアクセスするつもり?」
 うん。と頷きながら続きを話す。
「まず、君の機体はSpaceEquipment社の最新マシン、そして、僕が持っているこのADPSMの小型ナビも同じくSpaceEquipment社マシン。おそらく最近のマシンには同じOSが乗っているはずだから、僕のこのナビを解析すれば、通信プロトコルとかアクセス手順は分かる。あとは君のマシンをこっち側から乗っ取って、遠隔操作する。遠隔操作するのは君の機体についているドップラービーコン。その情報をこっちに転送して、現在座標を取得すると、こういうことだ。うまく計画が進めば、目的のバニシングリングまで行けるはずだ。」
「そうか…そんな手があったんだ…。あ、だけど、遠隔操作なんて出来るの?」
「SpaceEquipment社から受け取ってから設定を何もいじってなければ、できるはずだけど、何かセキュリティ対策、やってる?」
「うん、ほとんどの記憶コアを通信ラインから隔離してる。外部から見えるのは、私の船の識別コードだけだと思う」
「それだと難しいかな…。ちょっと待って、調べてみる」
 再びソーサーにコマンドをタイプして、SpaceEquipment社のOSに関する記事のログを引っ張り出す。この辺は僕の趣味だったから、データベース化して保存してある。いちいちネットワークで接続する必要もない。
「あ、あったあった。大丈夫みたい。SpaceEquipment社のOSは、外部アクセスの部分にでっかい穴があるから、進入するのはそんなに難しくなさそうだ」
「他に何か問題があるの?」
「そうだな…。問題点は2つ、一つ目は君の機体がまだ健在である確証がないこと。二つ目は僕の船に乗っている通信機が、数世代前の旧型ってこと。この計画だと情報の欠落は、命取りになりかねないからね。」
「どっちにしても、急いでやらないと状況はますます悪くなる…ってことね」
「そういうこと。」
 二人は、すぐに今後の行動計画について、打ち合わせを始めた。


第六話

「予定航路に入ったわ。ここまでは問題なしね」
 ミサキは淡々と報告を済ませる。あれから数時間に渡る綿密な行動計画を立て、その後20回に分けて加速と進路変更を行ってきたこの船は、今、ミサキの船の後方をつかず離れずと言った距離を、軸をずらした状態で平行に進行している。そのまま通信が安定する距離まで加速し、計画を開始することになる。
「それにしても、面倒なルートを選んだわね…。もっと他に手はなかったの??」
「だからさっきも話したけど…」
「私の船の吐くスペースデブリ…宇宙ゴミ…を、避けながら飛行する目的もある…でしょ?」
 隣のパイロットシートにゆったりと腰をかけている彼女は、にっこりと微笑みながら僕の方を向いた。その時、はらはらと下に流れた髪を手櫛であげながら、彼女は首を左右に振った。白い肩のラインからうなじにかけての柔肌が、彼女の真っ赤なパイロットスーツの隙間から、チラチラと目に飛び込んでくる。
「あ、う、うん。」
「どうしたの? 顔、赤いよ?」
「な、何でもないよっ。」
 急に恥ずかしくなってうつむくことしか出来ずに、ぐっと握った手を膝の上に載せていた。
「何でもない分けないじゃない。病気かもしれない。熱は? 大丈夫?」
 見る間に彼女の顔が近づいてくる。
「ちょっちょっと!! こっちに来ないでよっ!」
 耳が熱い…。
「あー、それはお姉さんに向かって失礼ねっ!」

 そうなのだ!
 自分よりも少なくとも3つは年下だろうと思っていたミサキは、僕より6つも上の、23歳だった。その割には明らかに発育の遅い体と、どう見ても中学生のそれとしか思えない顔の作り、まさに「童顔」は、小学生だと鬼のサバを読んでも通用すると言うくらいのものだ。
「あー、今、胸見てたでしょ!!えっちー!!」
「そ、そ、そんな小さな胸見たって、う、嬉しくないよっ!!」
 あたふたとあわてながら、自分にとって十分に刺激の強い彼女を、必死に避けた。

「…ひどい……」
 それまでの彼女のトーンとは全く異質の、悲しそうな口調が聞こえてきた…。
「そりゃ、私は子供っぽく見えるだろうし、胸も小さいし、顔は童顔だし…魅力なんて、全然これっぽっちもないかもしれないけど……そんな風に言わなくたっていいじゃない…」
 うって変わって泣きそうになっている彼女に、ただぱくぱくと口を開けて反論することしか出来ない僕は、しばらく金魚を続けていた。
「なーーーんてねっ! うそうそ。じょーだんよ。冗談! まぁ、魅力ないのは認めるけど、これでも少しは気にしてるんだから、今後は気を付けてね。あはは☆」
 ますます口をぱくぱくさせるしかなくなった僕は、目を白黒させて彼女を見つめていた。
「あれ? 何? 私の体、見たかったの??なーんだ、そう言ってくれれば見せてあげるのに〜」
 そう言って、おもむろに赤いスーツの襟首をゆっくり下ろす仕草をするミサキを見て、ようやく僕は言葉を発した。
「いいよ、いい!! 僕が悪かったから、もう、許して。ごめんなさいっ!」
 訳も分からず謝るのが精一杯。完全に彼女のペースに飲み込まれたようだった。
「うふふ。かわいーーっ!!」

 こんな平和な会話をしているのも、航行計画上、若干の余裕があったからだ。その間にふと年齢の話題になって、あれよあれよという間に彼女は「お姉さん」へと変貌していったのだった。身の上の話はほとんどしなかった彼女だったが、僕よりも6つも年上と知って、それを延々と繰り返し続けたのだ。
 今まで女と言えば母さんだけの生活だったから、すごく、緊張した。

「あ、そろそろ時間よ。イクト、準備してね」
 この先の航海に、一抹の不安を感じる出来事だった…。


第七話

「右舷後方に動体反応あり。速度、質量から換算して……間違いない、ミサキの船だ。距離、約1万2千。この距離ならかなりの信頼性で通信を行える。」
 入れたばかりの紅茶を楽しみながらミサキはクッキーを食べていた。
「はいはーい。じゃ、イクト君よろしくね〜」
 あの後も、お姉さん気取りとなった彼女は、自分の話をし続けた。
 彼女は、先の宇宙大戦で戦艦ヤマモトを指揮した艦長の娘だそうだ。僕は人と人とが無益な争いに興じるのが嫌いだったので、その大戦のことはあまり見ないようにしていた。戦争と言っても、自分の住む星からはるか離れた遠い宇宙空間で行われるそれは、情報さえ入らなければ何も起きていないのと同じだった。まだ兵役の義務を課せられない未成年だった僕は、何の支障もなく学生(と言っても小学1年生の)生活を過ごすことが出来た。もちろん、僕の父さんはその戦争にパイロットとして出兵していた。もっとも、元々軍人だった父さんには当然課せられる使命だったけれど。だから年に数回しか、父さんを家に帰してくれない戦争を、僕は嫌っていたわけだ。
 その宇宙大戦が、何を賭け、何を求める戦いだったのか、父さんはどんな目的で戦闘にかり出されていたのか、今になってもその理由すら知らない僕ではあったが、彼女の話す宇宙船「ヤマモト」の事は、知っていた。
 その戦艦が数世紀前の大型戦艦「大和」を模したものだからでも、今大戦でもっとも大きな戦果を上げたからでも、生き残ったわずかな戦艦の一つだからでもない。その宇宙船「ヤマモト」のエースパイロットとして乗り込んでいたのが、紛れもない、僕の、父さんだったからだ。
 宇宙船ヤマモトは、超弩級艦ヤマモトとして知れ渡っており、他を圧倒する火力と推進力と機動力というそれぞれ相反する性能をすべて備えたダイナミックな建造物だった。当時まだ実用化されていなかったプラズマ推進エンジンを搭載し、超長距離・低燃費航行が出来る唯一の船だった。資源の乏しい宇宙空間で激しい機動力を見せられたのは、必要なときに必要なだけの燃料を、バカみたいに燃費の悪い主機関に送ることが出来たからだと、評論家の意見は一致している。瞬発力に優れた化学ロケット…ただし秒単位ですさまじい燃料が必要になる…と、持久力に優れたプラズマロケット…プラズマ化した推進剤を電気加速して噴射する効率のいいロケット…を積んでいなければ、この瞬発力は出せなかっただろう。
 そんな僕の思考を知ってか知らずか、彼女は相変わらず話を続ける。
「でね、でねっ! そのパパの船に、とびきりすごいパイロットがいたんですって!!」
 その後、僕は延々と自分の父さんの話を聞かされることになった。自分の父親のことを褒めちぎられて、悪い気はしなかった。
「何よ…なにニヤニヤしてるのよ…」
「いや、何でもないよ。それより、予定通り始めたいんだけど」
「あ、そうね。お願いするわ。」
 ようやく作業に移った僕は、まず手始めにミサキの船とのコネクションリンクを開く。その後ダミーのコネクションを数億の単位で自動生成させて一斉に問い合わせ。その過負荷に耐えられなくなったコンピュータが「Busy」を吐く瞬間に流れる情報を、最初につないだ回線で監視して、取得。あとはそれに乗っているコードを解析して相手コンピュータのリモートアクセス用リンクポートを調べる。
 続けて予想されるパスワードを一気に数億ずつ送信。それを3msほど続けると、システムが異常を検出してパスワードを自動的に交換する。新しいパスワードはOSの機能をあちこちで使っているから、先に解析しておいたSpaceEquipment社のナビのOSからその生成ルールが導き出せる。後は徐々にパスワードの幅を狭めていくと、相手側コンピュータをこちらの支配下、つまりスレーブにすることが出来る。
 そこまで出来たらあとは、普通に回線をつないで、思うとおりに動かせばいい。
「あれ…そんなに簡単にできちゃうわけ??」
「…今までの作業工程をどうやってみたら『簡単』なんていう言葉が出てくるの? お・ね・え・ちゃん!」
 面倒な作業が認められなかった悔しさで、精一杯の反撃を試みる。
「だってぇ、おねぇちゃん、そういう電子戦にはよわいんだもの〜」
「ちぇっ。勝手なこと言ってらぁ…。宇宙恐怖症のくせに…」
 今でも思い出して思わず笑ってしまう。彼女が一人で宇宙に出た理由。それが宇宙恐怖症を克服するまで、家には帰ってはいけないからだったとは!!
「あ、思い出し笑いしてる!! ひどいっ!」
 そりゃぁ、大戦争を勝利に導いた宇宙戦艦ヤマモトの艦長の娘ともあろう人物が、宇宙恐怖症では笑い話にしかならないからね。
「いや、いいんだけどね。可愛いよ。おねーちゃん。あはは」
「いーくーとー!!」
 そう言って頬を膨らませるミサキは、やっぱりどう見ても僕より年下としか思えなかった。
「ま、どうでもいいけど。ほら、もうすぐここの絶対座標も分かるよ」
「やったっ!」
 いろんな意味で、姉にも妹にも見えるミサキは、ころころと表情を変える女の子だ。


第八話

 結局のところ、僕たちは思いもよらない未開の地までやって来ていたわけで。
「絶対座標、95α、352、23θ、なんだよコレ…」
「け、計算ミスじゃない? うん、きっとそうよ!」
 僕はこの計算に絶対の自信を持っていた。静かに顔を横に振る。
「じゃぁ、私の宇宙船、きっと壊れてるのよ!」
「可能性がないわけじゃないけど、それは考えづらいよ。取得したデータがリアルすぎる。」
「でもこの短時間に、これだけの距離を飛んだって事? その方があり得ないわ!」
 確かにそうだった。光の速度で延々跳び続けても、絶対に到達できそうにない遙か彼方の場所だ。僕たちは今、人の全くいない空間にいるのだ。
「あ、バニシングリングを通っちゃったんだ。そうよ。きっと、私たちが知らない間に、天然のバニシングリングを通っちゃったのよ。」
「いや…それもあり得ないよ。バニシングリングは空間がきわめて安定していないと存在できないんだ。それが天然のものならなおさらね。天然で出来たリングは、5分とたたずに自然消滅するのが普通だし、こんな大きな宇宙船を丸ごと時空移動させるなんて、絶対無理だよ。」
「でも、もしかしたらその偶然が起きたのかもしれないじゃない。宇宙では何が起きるか分からないし。」
「じゃぁ、証拠を見せるよ…。」
 そしてソーサーを叩く。
「知っての通り、バニシングリングの中心からは、強力なγ線が放射されてるわけだけど、僕たちが飛んできた数日のログを見ても、そんな現象は起きて……る…。嘘だろ!?」
「ほら、やっぱりそうでしょ!? ねぇっ、早くリングに戻りましょ!」
「…そうだね…」
 リングは基本的に特定の2点間を結ぶ時空移動空間なので、出てきたところに再び飛び込めば、元いた空間に戻ることが出来る。僕はγ線の軌跡を求めて、あわててソーサーをタイプしてみた。
「どう??」
「だめだね…。もうこの付近の海域からは、γ線を検出できない。ほんのわずかなモノが、君の船から出てるだけだ。」
 SpaceEquipment社の最新船は、そのエンジンに対消滅タイプを搭載している。しかし、本来ならγ線なんて、出ないはずだよな…??
「ちょっと待てよ…。もし、君の船のエンジンが暴走させられるとしたら、そこに人工のバニシングリングを作り出せるかもしれない…。γ線が出ているとしたら、可能性はあるぞ。それに今僕らがここにいる理由も説明が付く。」
 つまり、僕たちは、知らない間に彼女の船が造り出した、天然のバニシングリングを通過して、今この場所にいるのかもしれない。
「良くわかんないけど、帰れるの?」
「計算してみるよ。」
 ソーサーのサブスクリーンをなでて、計算式を呼び出す。バニシングリングの安定物質を生成するには、莫大なエネルギーが必要になる。
「…君の船のエネルギー残量、あと、漏れだしている燃料の量から計算すると……このエネルギーの消費の仕方は普通じゃない。バニシングリングを一度生成したと仮定すると、確かに今の残量はぴったり一致するんだけど…」
「やっぱり、バニシングリングが出来ていたのね…」
「うん。だけど、もう一回リングを生成するには、エネルギーが足りない。さっきの放出で質量も小さくなってるみたいだから、理論的には、奇跡でも起きない限り、無理だね…」
「…じゃあ…私たち…助からないの?」
 彼女の重い一言に、僕は明るく答えられない。
「ごめん。無理だ…」
「……そっか…。でも、噂が本当なら、イクトは私の魂を救ってくれたんだよ。それだけで、十分。」
「え?」
「…知ってるでしょ? バニシングリングの噂。リングが生まれるときに、その中心にあった物質は、次元の狭間に閉じこめられて永遠に抜け出せない…。時の止まった何もない空間で、永遠に死ぬことはない…って。」
 僕は何も言えなかった。
「でも、その危機を、突然現れたイクトが、助けてくれたって事でしょ? それだけで、私は十分。だって、一人じゃなくなったんだもの。こんな寂しい空間で、ひとりぼっちだったら、私、絶対に耐えられないよ…。」
 音のない宇宙空間で、静かに時が進む。
「…でも、イクトにしてみたら、私さえいなければ、こんなところに来なくてすんだんだよね…。」
「え? そんなこと、思ってないよ。どっちにしたって僕は迷子だったわけだし、僕だってこんな宇宙で一人ってのは嫌だから、ミサキの声がしたとき、嬉しかったし」
 落ち込みすぎの彼女を、本音でフォローする。紛れもない事実。下心で通信に応じた僕が居たことを、否定は出来ない。
「…ありがとう。…イクトって…その…、優しいね…。」
 耳まで真っ赤に染めたミサキの表情を見て、僕の心拍数は一気に増大する。痛いほどの静寂で、この鼓動が彼女の耳に届くのではと思うほど、僕の心臓は激しく血液を送り出した。
「イクト…」
 目を閉じた彼女の顔が、僕の目の前に迫る。その小さな唇に吸い込まれるように、僕も前に出る。
「ミサキ…」
「きゃっ!!」
「うわっ!!」
 唇と唇が触れるかと思った瞬間、僕らの乗る船が大きく軋んだ。とっさにコンソールに目をやった。
「衝撃波だ!! 第2波、第3波、来る!!」
 遠くで何かが光る。それは紛れもなく、彼女の船が沈んだ証だ。


第九話

 数回に渡る衝撃波が、二人の乗る船を直撃した。音のない宇宙空間では、何の前触れもなく衝撃波が伝わってくる。その波を捉えた宇宙船は、ミシミシと音を立てて軋むのだ。
「…お、収まった??」
 ミサキが恐る恐る顔を上げる。はたと気づくと二人して抱き合っていた。それに気づいたミサキがさっと身を離す。
「と、とりあえず、船、動かさない? こんなところで止まっていても仕方がないわ。」
「あ、ああ、そうだね。そうしよう。」
 ぎこちない会話に気まずい沈黙。何にせよ、このまま見知らぬ空間に浮かんでいても仕方がない。

「20分間、スラスターを点火する。それで、行けるところまで行ってみよう。」
 今乗っている船は、僕が生まれるよりも前に造られた、時代遅れの船だった。当然、プラズマ推進でも、対消滅推進でもない、時代錯誤も甚だしい化学ロケットだった。今までの度重なる事件のせいで、かなりの燃料を消費してしまったため、連続運転に耐えられるほどの余裕は残されていない。
「どのくらい保つの?」
 難しい質問だった。化学ロケットは、物質の燃焼によってその推力を得るため、その化学反応にはどうしても酸素が必要になる。
「いや、燃料はほとんど気にしなくてもいいと思う。現在地も分からないから姿勢制御用スラスターを使うこともほとんどないだろうしね…。」
「……」
「むしろ問題なのは、どこまで生き延びる準備をするかってほうかな。残りの食料が、二人で6ヶ月。酸素や水は3ヶ月ってところかな。スラスターを一切使わなければ、水と酸素は軽く見積もって、更に3ヶ月くらいの足しになる。」
「じゃぁ、うまく行けば半年間は生き延びられるわけ?」
「重力コントロールと、サブコンピュータとかの補助動力をカットして、酸素供給量を通常より低く設定すれば、もう半年、先延ばしにできるとは思うけど…」
「思うけど……?」
「その場合は、僕らはほとんど何も行動できなくなる。意識を失う一歩手前の状態を持続させることになるからね。生命維持に最低限必要な酸素供給だけにするのは、特に危険だと思う。だから、僕はやりたくない。」
 自分だけならともかく、ミサキにそんな状態になって欲しくない。
「だけど、そうすればもしかしたら助かるかもしれないんでしょ?」
「望みは薄い…乱暴に、確率でいうなら、例えそうしても限りなくゼロに近いと思う。人間の活動圏内にこの推進力だけで到達するのに、一体何年掛かるか…」
 ミサキの船から得た情報によると、今僕たちがいる空間は、元々いた場所から何億光年も遙か彼方だ。この船の推進がラムジェットや光子・反物質ロケットならともかく、化学ロケットだけとなると、満足な速度を得られない。
「じゃぁ、じっとしていて助けを待つってのは? イクトの家族も、きっと心配して探してくれてるんじゃないかな?」
「例え探してくれてるとしても、場所が分からないことには手の出しようがないし、この付近にはバニシングリングはまだ建造されていない。人間の勢力拡大図にあわせて見ると、ここまで人類がその生活の場を広げるのに約5世紀必要になるから…」
「もう、助からないとでも言うの……」
 ミサキの声から力が抜けていく。
「そんな…。私、まだやりたいこといっぱいあるのよ? おいしいものだって食べたいし、友達と笑っていたいし、それに、彼氏だっていないし…」
「僕だって、それは一緒だよ…。だけど、どうしようもないでしょ? この状況で、他に何か打つ手があるなら、とっくにそうしてるよ」
「じゃぁ、この海域に生物が住めるような地球型惑星はないの??」
「…残念だけど、一番近い恒星でも、100光年以上離れてる。これだけ離れてると、生物は存在できないよね…」
「そっか…。じゃぁ、私たちは、あと半年で、消えてなくなるのね…」
 残酷な結末だ。まだ人生の半分もろくに生きていないと言うのに、誰も知らない土地でひっそりと消滅する…。
「僕がミサキの彼氏じゃなくて、悪かったね。ははは…」
 乾いた笑い。自暴自棄にならないですんでいるのが不思議なくらいだった。
「…私は…イクトでもいいよ…? イクトは…私じゃ駄目?」
「えっ?」
 僕の目の前に、彼女の潤んだ瞳があった。何かを求めるような視線だった。


第十話

「わ、忘れてた…」
 僕はミサキの視線をごまかすように逃げながら、話を始めた。
「よく考えたら、呼吸用の酸素は、船内で洗浄循環してるんだったよね…。だったら、酸素に関してはもっと長期間もつと考えても差し支えないと思う。」
 まるで無関係な話しにすり替えられて、不満そうなミサキはすねたような顔になった。
「だって、どうせ助からないんでしょ?」
「そ、そんなことないって。ほ、ほら、よく言うじゃない。望みを捨てたら、助かるモノも助からないって…」
 宇宙旅行が一般的になってからも、宇宙では、突発的な事故が後を絶たない。中には、今の僕たちの状況のように、100%生きて帰還することが困難な事故も多くあった。そこから何とか帰還を果たした人たちは、8割以上が「自分は助かる」と思っていた人だと、父さんに繰り返し聞かされていた。
「じゃぁ、どうしろって言うの? 光速まで加速できるロケットも、超長距離航行用の設計も、ロケットの搭載もされていないこの機体で、どうやって帰還するの? ねぇ!」
 そして、多くの場合、宇宙で乗組員同士が互いに信頼できなくなったとき、そのチームは崩壊する。
「ミサキ!落ち着いて!」
「落ち着いてるわよ!」
「確かに、僕たちは今、危機的な状況にあることは間違いない。だけど、だからといって悲観するのは早すぎると思うんだ。まだ、やれることの1割もやってないでしょ?この船に、もしかしたら何かあっと驚くような装置が積んであるかもしれない。この近くに、人間の乗っている船があるかもしれない。そういう可能性を全く調べもしてない。だから、まずは生き残るために、やれることをやっておこうよ。幸い、二人とも動けるんだし。」
 ミサキの動揺が少しずつ収まり、僕の話にも耳を傾けてくれるようになった。
「僕の言うこと、何か間違っているかな…」
 暗闇に放り出された子猫は、ゆっくりと首を横に振った。
「…そうね…。」
「じゃぁ、ミサキには、この船の中を徹底的に調べて欲しい。僕がやってもいいんだけど、中途半端に船の中を把握してるから、思わぬ見落としがあるかもしれないし。それにミサキにも、この船の中のことを知っておいて欲しい。これから長期間生活することになるから。」
「うん。…イクトは、どうするの?」
「僕は、船のデータバンクで、過去に同じような事故がなかったかを調べてみるよ。その時の対処法が、役に立つと思うから。」
「わかったわ。じゃぁ、早速、調べてみる。」
「お願いするよ。重力コントロールはどうする?船内活動はやりやすくなると思うけど、骨が弱るのを覚悟しなくちゃいけない。この船にはろくなトレーニング機材が積んでないから、二本足で地上に帰るつもりなら、このままの方がいいかもしれない。」
 僕の軽い言葉が、ミサキの顔を明るくした。
「そうね、私たちは、自分の星へ帰るつもりだし、できればこのままがいいわね。でも、船内活動の間だけ、重力コントロールを切ってくれると助かるわ。なるべく、慣れておきたいし。」
「分かった。じゃぁ、そうする。」
 ソーサーのメニューを開いて、重力コントロールを切る。自分の体を押さえつけるものがなくなって、ふっと軽くなる。
「重力コントロール、解除完了。」
「体が軽くなったわ。私って、こんなに軽かったのね。」
「油断しないでね。気を付けないと、筋肉ばっかりやせ細ったのに、体重は元のまま、何てことになりかねないから。」
 軽い冗談を言いながら、二人で笑いあった。
「じゃ、船内探索、行って来るわね。」
 ミサキは背伸びをする格好で、床を軽く蹴り、宙に浮く。
「あ、それともう一つ。パスワード付きの錠の掛かっているところは、エアロックだから、外に出るときは部屋の向こうの気圧をチェックするのを忘れないで。いきなり開けて宇宙船が爆発してもらったら困る。」
「気圧が違ってても開けるような旧世代のロック使ってるの?」
「いや、冗談だけど。分からないことがあったら、些細なことでも聞いてね。」
 やれやれと言った感じで肩をすくめながら、ミサキは微笑む。
「OK。ご指導のほど、よろしくお願いします。イクトさん。これでいい?」
「上出来。じゃ、行ってらっしゃい。」
「行って来ます」
 僕たちの、生き延びるための行動は、始まった。


第十一話

 おおよそ半日に渡る船内探索から戻ったミサキは浮かない顔をしていた。
「最低限必要なモノ以外、ホントに何も積んでなかったわよ」
「…予想通りか…」
 宇宙船の航行計画は、地上で準備して、地上で検証し、まったくその通りの航行をするだけというのは、宇宙船が個人レベルで動かせるようになり、船そのものの性能が上がった今でさえ基本的には変化していない。大半の個人利用者は、宇宙船がどういう原理で空を飛び、宇宙を越えていくのか、全く知らない。
 宇宙船の操縦に関する免許には、いくつかの種類があった。僕とミサキが取得しているのは、宇宙船を手動で操作できる最低限の資格である「宇宙船普通航行免許」。各旅行会社からのツアーパッケージ通りの航行をインストールして、自動運転開始のボタンを押すだけの資格が「宇宙船代行運転免許」。その上の特殊免許は、宇宙で仕事をするプロフェッショナルが何年もの実践を経てようやく取得できるもので、一般の人間にとってはほとんど関係がない。
 宇宙空間での飛行は、純粋な物理法則にほぼ100%拘束されるため、大気の状況や、温度、重力、摩擦、そのほか、互いに干渉しあうような現象が地上に比べて圧倒的に少ない。燃料を使えば使っただけ船は加速減速するし、少しでもスラスターの使い方を誤れば、宇宙船はぐるぐると回転を始める。そうならないように、地上で出来る限り綿密な計画を立て、その航行スケジュール通りにきっちり空を飛ぶことになる。
 また、有限の燃料が意味もなく使われないように、空に出る前には出来るだけ船を軽くするのも常識的に行われていた。自重が重い船は、加速減速や、姿勢制御にも大量の燃料を消費するからである。不必要なものは、持ち込まない方が推進剤の減少を抑えられる。
「居住ブロックにめぼしいものがないのはいいとして、この船倉にも何もなかった?」
 僕が地上で見慣れていた船倉には、常に何らかの装置が取り付けられていた。
「ええ。見事なまでに、ガラガラだったわよ。非常用のパーツがいくつか置いてある以外はね」
 非常用のパーツとは、各種計器や無線など、細かな代替部品が大半で、さすがにエンジンの換えがあるわけではない。
「そうか…。じゃぁ、ほとんど現状と変わらずと言ったところか」
「そうなるわね。ところで、イクトの方は、何か分かった?」
「一応、過去20年間の航行記録を洗ってみたんだけど、これだけ離れた空域に飛び出してしまった宇宙船の記録はなかったよ。とりあえず、一つだけ参考になりそうな事故があったから、それだけはピックアップしておいた。この船が出来たのとほとんど同じ頃、今から20年前に、今の僕らと同じような状況に落ちた船があった。これなんだけど…」
 ディスプレイに目を戻し、事故記録を呼び起こす。マルチファンクションディスプレイが複数のウィンドウで分割され、その当時の状況が投影される。
「2隻の船がほぼ並行して惑星探査に飛び立って、1ヶ月後に先行していた一隻のエンジンが故障。その一隻を破棄して、後続する船に乗組員を移行させた。」
 ディスプレイに映るデルタマークが一つになる。
「どうなったの?」
「この2隻の乗組員は、それぞれ5名ずつ、計10名だったんだけど、定員6人の船に、一気に10人が乗り込んだから、空気清浄でトラブって生還できたのは10名中の2名。」
「え?」
「人間は息をしてるだけで有害物質を吐き続けるから、空気は淀んでいく。乗組員10人いる宇宙船の定員は6人だから、洗浄装置が間に合わなくて、結果として毒ガスにやられたって事になってる。助かった二人は、他と隔離されていたパイロットシートに座っていた操縦士だったから、助かったらしい」
「…そう。それで、その事故が私たちにどう関係があるの?」
 さらにキーボードを叩いてウィンドウを重ねる。
「まず、この船は、超遠距離にある惑星の探査が目的だったんだけど、その途中に起きたトラブルで、急遽先行する船の人員を助けなきゃならなくなった。先行する船はエンジンが暴走して、微力推進を続けていたから、追いつこうと思ったら後続の船も加速しなきゃならない。それで、検討の結果、すぐに追いかけることにした。」
 画面上の船2隻が加速を始める。
「当然、追いつこうと思ったら前の船よりも推進剤を大量にぶち込む必要があるからそうしたわけだけど、救出後にチェックしたら、燃料計に表示される数値より、実際にタンクにある燃料の方が少なかった。」
「…どういうこと?」
「燃料計が故障していたか何かだと思う。要するに、助けたはいいけど、地上に帰るだけの燃料が残っていなかったってこと。」
 この手のトラブルは、実際、後を絶たない。燃料は他の荷物より優先して積載され、さらに予備タンクも付けているにも関わらず、途中の計算ミスや故障でその通りには行かない事の方が多い。
「…でも、二人は戻ってきたのよね?」
「うん。あるものを、推進剤のかわりにぶっ飛ばしたんだそうだ…。」
「あるもの??」
 うんとうなずいて、僕は答えた。
「尿」
「は??」
 狐につままれたような顔をするミサキ。
「だから、おしっこだって。」
 一瞬、何のことか理解できないミサキは、話を飲み込むのに数秒掛かった。話を理解するに従って、顔が赤くなってくる。
「……えええええっ!!」


第十二話

「そ、そんなこと、出来るわけないじゃない!」
 ミサキは顔を真っ赤にして叫んだ。
「いや、まだ何も言ってないけど…。」
 今僕たちが乗っている宇宙船は、型落ちまっしぐらの旧式である。電源供給も、水素と酸素の燃料電池なので、電気を発生させているだけで水はドンドンと作られる。そう言う意味では水はそれほど貴重というわけではない。ただ、そのようにして出来た水というのは、飲料水や、シャワーなどの生活用水として利用される。
 純粋にただ捨てるだけの水というのは、人間の体から排出された余分な水分だけだ。もちろん、この余分な水すらも宇宙船はきれいに濾過して飲料水に変化させることが出来るが、多くの人が生理的に受け付けないため、リサイクルには回されていない。
 とはいえ、ただ単に尿を宇宙船から放出するだけでは、推進力を得られるはずもなく、真空の宇宙に吐き出した瞬間、一気に冷却されたそれは一筋の氷の筋になるだけだった。10年前事故によって宇宙をさまようことになった宇宙船は、その材料にある化学反応を起こして、推進剤に変えたのだ。
「…それって、その……は、恥ずかしい事じゃないでしょうね?」
 沈黙を続けた僕に、恐る恐るミサキが尋ねてくる。どうやら、勘違いをしているらしい。
「何を想像してるかは知らないけど……、純粋に推進剤として使うってだけだよ…。」
「でも…」
「いや、実際、ぶっ飛ばせるだけの推進剤が他にあれば問題ないんだけど、残念ながらそれ以外に考えられないから。」
「…ど、どうするの?どうすればいいの?」
 まだ顔のほとぼりがさめない彼女の顔は赤い。
「どうする…って、そんな化学プラントは僕の宇宙船にはないから、無理なんだけど…」
「は?」
 尿を推進剤に変えてしまうような……それはつまり、水を水素と酸素に分離するのと同じ事で、そんな大それた設備が、この型落ち宇宙船にあるはずもない。
「…それって、要するに、私をからかってる…ってこと?」
 彼女の眉間に軽い皺が寄り、なおいっそう赤くなっている。恥ずかしいのか…いや、単に怒っているのか…。おそらくは、後者だと思うが…。
「だね。面白かった?」
「面白くないわよ!いい加減にしてよね!そんなこと考えてる暇があったら、何もない格納庫とかゴミを捨てるとかして、自重減らすくらいしてよ!ただでさえペイロードの小さそうなこの船に、ごちゃごちゃとモノを詰め込み過ぎなのよ!さっきだって、浮かんでたバーナードに頭ぶつけてさんざんな目に遭ったんだから!」
「…どうりで。そのたんこぶはその時のか。」
「あっ…。ほ、ほっといてよ!」
 彼女の額には大きなコブが一つ出来ていた。もともと重力コントロールを切るつもりがなかったので、積み荷を厳重に固定してなかったために、細かい荷物が船内を浮遊していた。彼女のコブを作ったバーナードは、航行中の暇つぶしにと積んでおいた、ゲーム機だ。
 そもそも宇宙船は娯楽要素がほとんどない。単純に宇宙に飛び出す機関と、人の命を守る機能が付いた箱なので、暇つぶしの道具を持ち込まなければ、おそらく発狂してしまうことだろう。
 しかし、バーナードにコブを作るほど派手にぶつかったと言うことは、おそらくかなり激しく回転したに違いない。想像しただけで顔がにやけてくる。
「な、何よ、何がおかしいのよ…」
 腹を抱えて笑ってしまうのをぐっとこらえて言った。
「ま、自重を減らすってのは、現時点では少なくとも一番現実的な意見だろうね…」
「分かってるならやりなさいよ!」
 宇宙船を軽くして、その質量を減らすことが出来れば、少ない推進力で多くの速度を稼ぐことが出来る。
「でも、さっき、20分もスラスター点火しちゃったしね…」
 おかげで、燃料の残りもいよいよレッドシグナル点灯というところか。残り4割は残っているモノの、これだけでは身動きすらとれない。
「…あきれた。もう少しちゃんと考えてると思ったんだけど。」
「無茶言うなよ。大学で宇宙学を専攻してたわけでもない僕が、どうしてこんなところで危機管理出来るって言うんだよ…。それより艦長の娘であるミサキのほうが、適任じゃないかと思うんだけど。」
「この船のリーダーはあなたでしょ…。それに宇宙恐怖症の私にできるわけないわよ。」
 彼女のトラウマである宇宙恐怖症、とりわけ彼女の場合は船外活動恐怖症のようだが、その大半は幼い頃の体験によるところが大きい。彼女の口からはまだ何も語られていないが、彼女もまた何かしらの出来事を経て、宇宙空間が嫌いになったのだろう。そう考えると、今こうして宇宙船に乗っていることが奇跡とも思える。
「そういうこと、自分で言うかな…。」
「で、どうするの?まさか、本当に打つ手はないの?」
「いや、それはこれから考えようと思って。とりあえずミサキがあんまり怖がるから、こうやってリラックスムードを作ってみたんだけど。」
 軽い気持ちで言ってみたが、彼女に激しくしかられた。
「そんな冗談やってなくていいわよ!だいたい何よ!私の方が年上なんだから!」
「だったら、それらしくしゃきっとしてよ、お姉ちゃん☆」
「…はぁ…。駄目ね、私も。イクトのその顔見ると、なぜか心底怒れないのよね…」
「おねえちゃーん☆」
 これ見よがしにと甘えた声でミサキに飛びつく。
「こんな時だけ弟のフリをするな!」
 でも実際、こうやって気を紛らわせていないと、自分の死がちらちらと目の前を横切ってしまう。だからこそ、こうして無駄にはしゃいで気力を蓄えている……というのは、自己弁護にすぎないのだろうか。


第十三話

 それからというもの、僕とミサキはなんだかんだとうまくやっていった。する事が何もない宇宙空間で、二人とも気が狂ってしまうこともなく、1週間がすぎた。もちろん、その1週間はひたすら長かった。テレビが映るわけでも、そのほかの世界と通信が繋がるわけでもない。本当に二人ぼっちの航行だったのだ。
 電力供給は、通常航行時と変わらず、システムの変更は何もしていなかった。生きることを放棄したわけではなく、むしろ、健康でありつづけるために、必要なことだったからだ。もともとこの宇宙船は、重力コントロールシステムをOFFにして動かせるような設計になっていない。だから、日常発生する塵や埃の処理をするのを忘れると、大変なことになる。積んである食料も、大半が重力下で食べるような普通のモノのため、重力がなくなった状態でそれを食べると、食べかすがあちこちに飛び散ってしまう。
 飛び散った食べかすがどうなるか……。考えるだけでぞっとする。宇宙船の空気中を漂ううちにカビが生え、それを僕らが呼吸の時に吸い込む……。これで病気にならない方がおかしいなんて、小学生にでも分かることだろう。
 だから、ミサキと二人で、電気系統のすべてのパワーは、通常通りに供給することにした。
「ねぇ、イクト。今日はカレーなんだけど、ニンジン食べられる?」
 ピンク色をしたフリル付きの、いかにも女の子向け(しかも低年齢向け)なエプロンを身にまとい、左手に包丁、右手にニンジンという出で立ちでミサキは現れた。
「いや、この宇宙船は元々僕のだし、僕の宇宙船に積んである食材で、僕が食べられないものはないけど?」
「そう言えばそうよね…。何聞いてるんだろ、私。」
 といいつつも彼女は首を傾げたまま、何か気になることがある様子だった。
「何? どうかしたの?」
「あのね、ちょっと気になるんだけど…。どうしてイクトの宇宙船に、こんなエプロンがあったのかなって…」
 エプロンのひらひらのところを手に持つ。
「うっ……そ、そう言えば、おかしいねぇ…」
 実はそのエプロンは僕の大のお気に入りで、料理するときには欠かせないアイテムだなんてことを言えるはずもなく…。
「ああ、分かったわ。イクトのお気に入りのエプロンなのね。料理するときには欠かせないアイテムとか。」
「な、何で分かったのっ!?……あっ」
 めちゃくちゃ白い目をしたミサキが、めちゃくちゃ突き刺さる視線を僕に投げた。
 それはまさに、『なにそれ、冗談のつもりだったのにまさか、本気なわけ? そのアンタのお気に入りのアイテムを私が付けていて、私はそんな好奇の目で見られていたわけ?』とでも言っているかのようだった。
「あっ、あの、決して僕は、ミサキの可愛いエプロン姿に欲情していたわけではなくて、ほら、そのタンクトップに付けたエプロンが妙に色っぽいなぁとか、そんなこと決して思ってな……あっ」
 どうやら、僕は墓穴を掘ってしまったようだ。言わなくてもいいことをべらべらと一方的にしゃべってしまったらしい。彼女のあきれていた目は閉じられ、こめかみに血管が浮き出てきそうな形相をしている…。『目は口ほどにものをいう』とはよく言ったものだ。
 と……言うのはさておき、包丁を持ってプルプルしている彼女を何とかしなければなるまい。サウスポーを怒らせると、攻撃を見極められずに負けてしまう!
「なーんちゃって、てへっ☆」
 僕は満面の笑みを込めて、年下っぽさをアピールした。これでミサキも「かわいーーっ!」とか言って、機嫌を直してくれるに違いない。
「てへっじゃないわよっ、このスケベ!!」
「うわっ!!」
 とりあえず包丁が飛んでこなかっただけでも救いといえよう。しかし、その代役として僕に飛来した物体は、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、カレーのルー、ボール、卵、キャベツ……。あきらかに致命傷になるだろう圧力鍋や何かが飛んでこなかったのは彼女の優しさ?
 さて、僕のお茶目な行動は、彼女の怒りを静めるのに何の役目も果たさず、結局僕は彼女の渾身の攻撃の前に屈し、今はソファーで横になるのだった。それから何とか怒りの静まった彼女は、カレー作りの続きに取りかかり、僕はリンゴの直撃にふくれあがった額を濡れタオルで押さえつつ、じっとした。
 カレーができあがり、お互い無言のままで、この日は過ぎていった。
 この日だけで、すめば良かったのだけど…。


第十四話

 チームワークの乱れは、ほんの些細なことから発展してしまう。
 今、その言葉の重みを痛感していると言っていい。
 この前のエプロン事件から3日が過ぎた今もなお、ミサキと僕の間に会話はない。
 ここまでくると、どちらが悪くてどちらに非があったのかなんてことは、意味をなさなくなってくる。
 ひたすらに、根比べである。例え自分が悪かったにせよ、それを認めて口に出したら負けである。意地を張って、とにかく口を聞かないようにするしかない。
「…………」
 おかげで退屈な宇宙生活は、さらに灰色になり、それはまさに一人で旅をしているのと何も変わらなかった。
 一人でいる時間が長ければ長いほど、人は独り言をよく言う。僕も例外ではなかった。
「しかし、夜はめちゃくちゃ不気味だなぁ…」
 この宇宙船は、生活する人の体内時計がずれないように、擬似的に昼と夜を造り出していた。まぁ、そんな大したことではなくて、純粋に昼の時間帯なら明るく、夜の時間帯なら、暗くなるようになっているだけだ。
 その演出が絶妙で、夜の時間帯になると新月に照らされたような、あたりが拡散された青白い闇になる。
「そう言えば、小学校の校舎に夜忍び込んで、非常灯しかついていなかったときみたいだなぁ…」
 誰しもが夜の学校に忍び込み、そのあまりにも不気味な雰囲気に恐れをなすという、あの感覚がよみがえってきた。
「なんて言ってないで、さっさと寝てしまおう…。怖すぎる。」
 はっきり言って、僕はこういう話が苦手だった。
「しかし、なんか、妙に寒いな…」
 宇宙船では、船内の気温を一定に保つため、常にヒーターに電源が入っている。いくら機密性の高い宇宙船とは言え、絶対零度に近い宇宙では、ヒーターなしに人が生活することは出来ない。加えて、ヒーターは、各種機械類の結露を防ぎ、メインコンピュータ、メインエンジンが正しく動作する温度で維持する役目も果たしている。
「も、もしかして、超常現象とか…??」
 にわかに信じがたい可能性を頭から排除するために、僕はヒーターの温度設定をあげる。
 各部屋に取り付けられたコンソールからヒーターの設定パネルを開き、数値を入力する。
 しかし、画面には『ヒーターメインパワー OFF』とむなしく表示されている。
「おいおい…。冗談だろ??」
 このヒーターは、人間が手動でOFFにするか、非常時にしかOFFにならない。何もさわっていないのにOFFになっているということは、どこかにマシントラブルがあったということになる。
 とりあえず、原因を探るためにエラーログを調べてみた。
 下から上に流れていくログに、適切なフィルターをかけて、関連する事柄だけを取り出す。
 ログには、3日前に、誰かが、手動でOFFにしたと表示されている。
 急激に室温が下がっていく中で、僕の背筋もまた、急激に凍っていった。
「まさか、ミサキが?」
 宇宙でヒーターの電源を落とす危険性を、彼女が知らないはずはない。
 凍え始めた手を擦りあわせて、コンソールを調べる。あきらかに、摂氏0度を下回っている。パネルがうっすらと白くなっている。
「このままだと結露する…」
 あわてて、僕はヒーターの電源をONにした。しかし、システムは反応しない。
「ねぇ、ちょっと、寒くない?」
 コンソールと格闘していた僕の後ろから、ミサキが声をかけてきた。僕の頭はミサキを正常に受け入れられなかった。
「その理由は、ミサキの方が良く知っているんじゃないのか?」
 ミサキの表情が曇った……気がしたのは、僕の思い過ごしだろうか。
「えっ……な、なに?」


第十五話

 エプロン事件の後、ミサキは自分の部屋でイクトについて考えていた。
「…一体、何を考えているのかしら…」
 今日のエプロンのことといい、実際には年上の人を年下扱いするいつものことといい、ミサキにはどうにも理解できない事だった。
 もちろん、ミサキ自身も、自分がイクトにどう思われているか、知る由もなかった。
「ああっ! もう、思い出しただけでもイライラしてくるわね…」
 膝に抱えていた枕を乱暴に投げつけ、簡易コントロールパネルにあたったそれは、重力コントロールの発生する1Gの重力によって、地球と変わらない加速度で床に落ちた。
「はぁ…。私、何が不満なのかしら」
 イクトはミサキにとって命の恩人であることは間違いない。その上、こうして宇宙の居候をさせてもらっている。これ以上の贅沢はないのは、ミサキも理解はしているつもりだった。
「これって、『分かっている』のと、『理解している』のでは、大きな差があるってことよね…」
 自分の命の恩人に対して、本当の自分をさらけ出すことに抵抗を始めていたミサキは、その違和感に、どういう態度に表せばいいのか分からない。
「…どんな顔をして会えばいいのかな…。」
 ベッドから立ち上がり、鏡の前に座る。そして鏡に映る自分の姿を上目遣いでにらみながら、いろいろな表情を作ってみる。
「…お、おはよう…。うーん、これじゃ怪しすぎるわね。」
 今度は、右手を挙げながら笑顔を作ってみる。
「…あ、おはよう。あはは…」
 引きつった笑顔に、自分が情けなくなる。
「はぁ……どうしちゃったのよ…。私らしくない…」
 頬をつまんで引っ張りながら、思い通りの顔にならない自分に疲れ、コントロールパネルの電源を切り、その近くに転がっている枕を拾って、ベッドに横になった。もちろん彼女は、自分の投げた枕によって、ヒーターの電源がOFFになっていることなど、知る由もなかった。
 それから2日が過ぎる。
 イクトと顔を会わせなくてすむように、室外に出る時間は最小限にとどめ、他の時間はベッドの上でぼんやりと天井を眺めて過ごした。
 ずっと横になっていたからか、体のあちこちが痛い。自分が病人になったのかと思うほど、体の自由がきかない。
「ふーっ。考えていても仕方がないわね…。イクトのところに行ってみようかな。」
 思い立ったらすぐ行動するのが彼女らしいところではある。ベッドから抜け出して、身なりを整える。
 不意に、異常に気が付く。寒い。単に寒いだけではない。凍えるような寒さだ。
 それもそのはず、室温は摂氏0度を下回っているのだ。
「もしかして、ヒーターを切ったのかしら…」
 コントロールパネルを立ち上げて、ヒーター設定を確認してみる。間違いなく、電力がカットされている。
 ミサキといえども、ヒーターの電源を切る危険性など、百も承知だ。人間が生きられなくなるだけでなく、宇宙船もまた、その宇宙船たる理由を失うことになる。
 イクトが何か名案を思いついたのかもしれないし、それとも緊急事態、トラブル、いろんな思考が頭をよぎる。ミサキは頭をよぎった否定的な意見をかき消すように、頭を振った。
「どっちにしても、この寒さはどうにかしないと…。」
 そして、彼女はイクトの部屋に向かった。
 イクトの部屋の前に到着すると、彼女は冷え込んだ空気を深呼吸して取り入れてから、扉をノックする。
 返事はない。ロックはされていないようだ。
「…あの、イクト、入るよ?」
 ドアが開くと、イクトはコントロールパネルの前で腕を組んでいた。真剣に、何かを考えているようだ。
 それを見て一瞬来ては行けないところに自分が来てしまったと躊躇したミサキだったが、底冷えする寒さに、用件を思い出した。
「ねぇ、ちょっと、寒くない?」
 一瞬の間の後、イクトは言った。
「その理由は、ミサキの方が良く知っているんじゃないのか?」
 ミサキには、彼の言いたい事の意味がよく分からなかった。疑問の色が、ありありと顔に浮かぶ。
「えっ……な、なに?」


第十六話

 僕は何もしゃべらなかった。彼女も、何も話さなかった。蒼い唇をふるわせながら、流れていく時を見守った。
 その沈黙を破ったのは彼女だった。
「わ、わかったわ。ジンバルロックが起きたのね? そうでしょ。うん。そうね。それなら全部説明が付くもの。」
 突拍子もない発言に、僕は
「はぁ??」
 と、答えるしかなかった。
「……やっぱり、ちがうか…」
「あのさぁ、ジンバルロックなんて、初めて宇宙に出た時代の宇宙船でしか起きないよ。今はクオータニオンで計算してるから、そんな事は起きない。それに、姿勢制御とこの温度低下はまるっきり関係ない。」
 僕は、彼女の無意味な発言に、説明のラッシュで応酬した。
 ジンバルロックは、旧世代の宇宙船で使われていた姿勢制御用の羅針盤の軸が、ある一定の角度になったときに不正な状態になってしまう事を言う。そうなると、宇宙船は自分の状態を把握できなくなり、姿勢を保つことが出来なくなる。これはオイラー角で姿勢を計算していたことに起因する問題で、現代の宇宙船においては気にしなくて良くなっている。
「そ、それくらい知ってるけど、イクトが何も言わないから……。」
「じゃあ、言うよ。ヒーターの電源を切ったのは、君じゃないのか? さっき、コンソールで調べたんだ。君の部屋のコンソールで、ヒーターの電源がOFFにされた。3日前だ。」
「……な、何言ってるの…。そんなこと、するわけないじゃない。私にだって、ヒーター切ったらどうなるかくらい、分かるわ。」
「じゃあ、誰なんだよ。ミサキの部屋に、ミサキの知らない間に自由に忍び込んで、ヒーターの電源をカットできるヤツって。この船には、お化けとか、死んだ人の魂とかがいるって言うのか!?」
 僕は思っていたことを一気にまくし立てた。
「そんなこと言ってないじゃない! 私は何もしてないし、原因は他にあるかもしれないでしょ! 例えばシステムの故障とか、そのログとかなんか、実は全部間違ったデータかもしれないでしょ! 何よ! なんでも私が悪いのね! あなたが今、こうしてここにいるのも私のせい。そりゃそうよね。私の船が故障しなかったら、あなたは今頃無事に目的地の惑星キューブに着いていたでしょうね。ああ、ごめんなさいね。私のせいでこんなへんぴなところまでバニシングワープさせちゃって!! だいたい、ヒーターのパワーカットがコンソールの標準画面で出来ることが設計上の欠陥なのよ! こんなボロ宇宙船で空を飛んでる人の気が知れないわ!」
 確かに、この宇宙船のコンソールパネルのインターフェースはひどいモノだ。だが、それを他人に言われると腹が立つ。
「なんだよ。なにか不満でもあるのか? だったらこの船から出てってくれ! 僕は君に頼まれたから君を助けただけだ。君が僕と僕の船を必要ないと思うんだったら、今すぐ出ていってくれてもかまわない。」
「な、なによっ! なによっ!!」
 僕の最後の一言に、ミサキは、目にいっぱいの涙を溜めたまま、僕の部屋を出ていった。
 しばらく僕は呆然としていた。
 彼女の涙を見たのは、これで2度目だ。さすがに言い過ぎた。

「……原因がなんであれ、とにかく復旧させないことには……」
 この状況で、僕らの先にあるのは、確実な"死"のみだ。
 それを避けるためにも、一刻も無駄に出来ない。とにかく、考えられるだけ考えて、出来る限り早く、ヒーターを再始動しなければならない。
「くそっ。何だか釈然としないなっ…。」
 そう言いながらも、コンソールのキーを叩き続ける僕は、全くと言っていいほど、冷静さを取り戻してはいなかった。
 こんな時が、一番ミスをしやすいのに、人間関係によって、ぎくしゃくしていく。
 最悪のパターンだった。


第十七話

 私はまどろみの中にいた。

 幼い頃、私はママによく叱られた。
 宇宙戦艦ヤマモトの艦長であるパパ。そして、そのパパを支えるママ。
 数年に一度しか帰ってこないパパは、私にとって、理想のパパであり、常に側にいて欲しい存在だった。
 惜しみない愛情を肌で感じながら、私は、育ってきた。
 その分、ママは厳しかった。
 でも、私にはその厳しさが悲しかった。
 ママは、私の事よりも、パパの評判を気にした。
 私に厳しかったのも、宇宙船の艦長を務める私の娘が、常識をわきまえない娘では困るからだったのだと思う。

 その家で、私は幾度となく家出を試みた。
 その回数が片手では数えられないくらいになって来た頃、私はついに宇宙に飛び出すことに成功した。
 それまでの脱出劇は、度重なる機材の故障によって、すべて帰還を余儀なくされてきた。
 だからこそ、真空の世界に飛び出した時は、自分の何もかもが変わったことを疑わなかったし、これで、いつもパパと一緒にいられるんだと信じていた。
 しかし。
 宇宙遊泳を楽しんでいた私に再び不幸が訪れた。
 本来切れるはずのない命綱が切れ、闇の世界に放り出される。
 私にとって、それは死と隣り合わせの恐怖の時間となった。
 宇宙服にあるスラスターの使用経験のなかった私は、宇宙空間で激しく回転した。
 ゆっくりと宇宙船から離れていく中で、上も、下も、右も、左も、すべての方向感覚を失い、目指すべき点、自分の船を見失った。
 スラスタースティックを動かそうにも、気圧を一定に保つためにふくらんだ宇宙服が、私の非力な腕力をさげすみ笑うかのように重かった。
 疲労と、死への恐怖と、孤独、そして、闇への恐怖を味わった。
 30分以上真空中にいた私の危機を察知した宇宙服が、全方向にSOS信号を射出し、おかげで私は一命を取り留めた。
 しかし、それ以来、私は空を飛べなくなった。

 そして、今、私は再び宇宙で迷走している。

 アインシュタインの理屈が幅を利かせる宇宙では、時の流れは相対的に変化する。
 地上における時間の流れは、各個人の変化がおよそ誤差範囲に収まっているが、遙かに速い速度で航行する宇宙空間においては、時間の変化は顕著だ。
 さらに、バニシングリングは飛行距離によって爆発的に時間を消費するという。
 私たちがリングを通過した距離は、人類の想像を絶するほどだと言っても過言ではない。
 私たちが、どれだけがんばって自分の星に帰り着いたとしても、そのころには、地球では何十年、何百年…いや、何万年という単位で時が流れてしまっている。

 イクトはそのことについて、何もふれようとはしない。
 だけど、はっきりしている。
 もう、パパには会えない。
 明確な理由もなく嫌っていた、ママにも会えない。
 そして、友達と、同じ時間を過ごすこともない。

 「ごめんね。私、もう、帰れないよ…」

 自分が、泣いていることに驚いて、目が、覚めた…。


第十八話

 漠然とした不安が、僕を襲っていた。
 ミサキが何を考えているのか分からない。彼女の行動が、言動が、それらすべてが僕にとって不安の原因になっていた。
 そして、何より、自分が分からない。
 信じるもの、守るもの、そういった心のよりどころとなる物を、すべて失ってしまった気がした。
 これまでの短い人生は、いつも誰かに守られながら生きてきた。社会、法律、教師、友人、そして両親。それがほんの少し自分の星から離れただけで、ほんの、たった少しだけ、地面から足が離れただけで、こんなにも簡単に失われてしまう事を、考えても見なかった。
 甘えていた。
 正直、僕は自分で何かをするのは苦手だった。人とより多く繋がりを持とうと必死になるのは、自分に自信がないからだった。
 家にいるときはほとんどメールのやりとりに時間を費やした。結局それも、自分の考えが不安で、人に賛成してもらいたかっただけだったように思う。
 つまらないことで人を頼り、人の意見に流されて、周りに目をやって、寂しいからメールを送り、相手にしてもらいたいから相手に優しくして、いつも誰からも好かれる自分でいたいと思っていた。
 自分が周りから浮いていないことに安心し、周りとの違いがないことに安堵する。そして、「普通」という言葉で自分を飾り、「みんな」と同じであることに満足した。
 でも、「普通」も「みんな」もここには存在しない。
 ミサキはミサキだし、僕は僕だ。
 普通なんてどこにもない。
 あるのは、自分に課せられた重い運命と、言いようのない漠然とした不安だけだ。
 死ぬかも知れない。それは、いつ?
 1ヶ月後、1週間後、明日、それとも今日?
 自分が死ぬことを前提にして人生を生きたことはこれまでなかった。
 人間が100歳まで生きるのが「普通」だと考え、自分に残されている時間は、限りなく無限に近いと思っていた。
 それが、今日、明日にでも死ぬ運命にある事実にすり替わる。
 僕は何がしたい? 何が望みだ? 何を怖がる? 何が不安だ?
 分からない。
 何もかもが分からない。
 実際、僕は僕自身のことについて何も知らなかった。
 目的もなくぶらぶらと宇宙をさまようだけの、ちっぽけな存在だ。
 どんなに背伸びをしても、僕は、僕という存在を越えられない。
 だったら、何だ。
 くそっ。
 どうかしてる。何をそんなに怖がる?
 自分が何をしたいか? そんなことはどうだっていい。
 今できること、今しかできないことを、少なくとも1日1日こなせばいい。
 とにかく今は、生き延びるための悪あがきをするだけだ。
 結果は、あとからついてくる。
 最初に結果を想像して、不安になるなんて馬鹿げてる。
 何もせずに宇宙の塵になるより、形のない藁にすがって、じたばたと惨めに空を掻いていたほうが、よっぽど利口だ。
 万に一つの可能性がなくても、100万に一つあればそれを信じればいい。
 100万でもなければ、1億、1兆にすればいい。
 今は、自分に出来ることに、最善の努力をするまでだ。


第十九話

 生き延びること。
 そのためにはまず船内温度を上昇させなければならない。
 手元にあるソーサーに手をやり、現状を確認する。
 メインパネルは異常温度を警告する表示が点滅している。
 ヒーターの再起動プロセスは、何度やっても最終シーケンスで失敗。
 稼働部の凍結が悪影響を及ぼしているらしい。
 サブパネルに稼働部の制御モニタを表示。各部チェックの後、異常箇所を点検する。
 物理的な損傷はない。しかしモニタ上はすべてレッド。異常ありとなっている。
 居住室と操舵室のシステムが生き残っている以外は、ほとんど死んでいると言ってもいい。
「これは…、単なる温度トラブルじゃない…。おそらく、ヒーターの停止はこのトラブルの引き金になっただけだな」
 パネルに警告がさらに増える。システム稼働率が2割を切った。メインコンピュータの処理能力はフルパワー時の4割。船自体がシステムダウンしかかっている。
 全システムの異常箇所の詳細レポートを調査する。やはり駆動部以外のシステムも、ほとんど息をしていない。
「なんだよ、これ。なんでこんなになってるんだ!」
 わめきながらもソーサーをタイプする手は止まらない。サブシステムはまだ生きている。
 メインの34から64までのコネクトをサブシステムへ収容。サブシステムをフル稼働。
「サブシステムが機能しない? チェックは通ってるのに?」
 ソーサーにコマンドを入力。サブシステムの起動についてのマニュアルをオープン。
「なんだよ。サブシステムは音声入力しか受け付けないのか!サブコンピュータ、システムフル稼働」
 僕が命令を言い終わると同時に34から64までのコネクトがオールグリーンに変わる。
「サブコンピュータ、余裕のあるコネクトをバイパスしてメインをバックアップ。その後、主要機関の再起動。」
 次々にパネル表示がグリーンになっていく。
「メインコンピュータの診断開始。以降、状況を音声で通達。」
『了解しました。メインコンピュータに異常ありません。』
 生き延びるためにすること。今はそのことに向けて全神経を集中する。体は自分が思うよりも先に、勝手に動く。
「サブシステムからメインシステムへ全機能移行、直後、メインシステムをフル稼働。サブシステムは音声通知のみ続けてくれ。」
『サブシステム機能停止。音声通知のみを継続します。メインシステムの稼働率50%。異常箇所が多すぎます。』
「異常箇所はサブシステムへバイパス。メインシステムは自動復旧できそうか?」
『処理をバイパスしました。サブシステムの約70%のリソースを消費しています。現在の状況から、メインシステムの復旧は12時間で可能です。』
「じゃあ、以降の指示をだす。メインを復旧し、すべての機能をメインにうつせ。メインが稼働したら全機関の再起動をフェーズ1から6までやってくれ。途中問題があれば随時報告。指示を待て。」
『了解。コマンドバッチ処理モードに入ります。』
「頼む。」
 椅子にもたれかかって短いため息をつく。ため息が濃い白色に濁ると空気中に拡散した。
「なんとか…なりそうだな。」


第二十話

 システムは満足なメンテナンスをしていないために、あちこち不具合が頻発している。今回のトラブルも、メンテナンス不足によるシステムダウンだ。
 しかし、原因が人為的ミスでない以上、早急に手を打っておかなければならない。
 船倉に走り、予備のパーツとメンテナンスツールを手にした僕は、異常が特に発生している機関室へと急いだ。
 そうしている間も船内温度は低下を続け、パイロットスーツをフル稼働させておかなければ、微細な作業などとても出来そうもない。
 僕はスーツのパネルを開くと、宇宙に出るときと同じ装備にした。
 目前に一瞬にして薄い膜が広がる。その後、その膜の上にスクリーンが展開され、人間の目では見えない各種情報が提供される。
 スーツは船内のコンピュータと無線リンクされており、あちこちの情報がスクリーンの上に表示されるようになっている。コンピュータに異常と判断された部分は、実像の上に重なるように赤いマークが点滅する。
「思っていたよりひどいな…」
 スクリーンには、一面に赤い点が広がっている。クリスマスツリーに飾られた電飾がものすごい勢いで点滅しているのを見るかのようだった。
 スーツの表示にフィルターをかけ、重要度が高い物のみを表示するように切り替える。
「…それでもこんなにあるのか?」
 スーツの1気圧下での行動可能時間は約3時間。その間に出来るだけ多くの問題を解決しなければならない。帯状に広がる赤い光を一刻も早く消し去る必要がある。
 一番赤の濃い光に近づく。機関室のコントロールパネルだ。船のコントロールは通常ブリッジから行うため、このコントロールパネルは滅多に使われない。仮にこのコントロールパネルを使うとすれば、それは主機関が暴走したときくらいだろう。コントロールパネルと言うのは気が引けるほどの、小さなボタンが誤動作防止用のカバーの下にいくつか付いているだけのものだ。
 そのパネルの数センチ下にはメンテナンス用の蓋がついていて、中の基盤をチェックできるようになっている。
 フィルターに映る赤い斑点に注意を払いながら、そっと蓋を開ける。見てはいけない何かがあるでもなく、肉眼で見る限り特に異常は見あたらない。
 しかし、スーツのフィルターに表示されている物は、パネル内部の基盤にベッタリと張り付くゼリー状の物体に見えた。しかも、その『ゼリー状の物体』は微速ながら移動しており、周りの赤い反転を吸収しながら、徐々に一つに集まっているかのようだった。
「なんだよ…これ…。」
 小さな物体を見つけて手で触ろうとすると、その物体は手から逃れるように移動した。意を決して、大きめの物体に触れてみる。しかし、結果は同じだった。
 まるで僕の介入を拒む『意思』を持っている、生物のような行動だ。
 ドライバーでつついても反応せず、段ボールで囲い込み作戦に出ても、彼らは段ボールの存在を意に介せず、すり抜けてくる。
 声に反応するわけでも、動く物に反応するわけでもない彼らは、マイペースに自分たちの体を結合させながら微速前進を続けていた。
 ちょうどその時、ピッという電子音とともにブリッジのサブコンピュータからの報告が入った。
 彼らは、その『電子音』に反応した。ベッタリと床に垂れていた彼らは、一瞬にして完全な球体に変化した。僕には臨戦態勢を整えた敵の姿に見えた。
「くっ、くるなぁっ」
 無意識に頭を手で覆って床にしゃがみ込む。フィルターに投影されるブリッジからの報告は目に入らない。
 そのままの姿勢で何分かが経過した。
 彼らは襲ってくるわけでも、飛びかかってくるわけでもなく、球体のまま宙に止まっていた。
 さらに数分経つと、球体を保っているのに飽きたのか、彼らは再びゼリー状の物体に戻った。まるでアイスクリームが溶けていくように。
 僕は何も出来なかった。彼らが何かしら意思を持っている以上、下手に動くわけには行かない。
「行動限界まで、あと1時間…。どうすりゃいいんだよ…。」
 そう言っているさなかにも、ゼリー状の物体は次第に形を大きくし、フィルター越しに見る限り、牛一頭分ほどの大きさになっていた。
 そして、彼らはしばらく漂ったあと、じわじわと僕の方へ移動を開始した。
 牛ほどの大きさを持つそれは、ナメクジよりもゆっくりした速度で、僕との距離を詰める。
 あわてて手を大きく振り、結合した彼らを殴り飛ばそうとする。しかし、彼らは体の形を自在に変化させ、僕の攻撃を難なくかわす。
 じりじりと壁に追いつめられていった僕の手に、コツンと何かが触れた。
 ゲーム機のバーナードだった。
「こんな時に!」
 ひどく場違いなそのゲーム機を遠くに投げつけた。弾みでバーナードの電源が入り、ゲームが起動した。 甲高い事を鳴り響かせて起動したそれに反応するかのように、ゼリー状の物体は今までと比べ物にならない速度で結合し、膨張し、僕を押しつぶし始めた。


第二十一話

 触れることも、見ることも出来ない彼らが、フィルター上で目前まで迫っている。
 貪欲に仲間を吸収し、膨張を続ける未知なる物質は、追いつめられて腹這いになっている僕にお構いなしで、なおも大きくなり続けた。
 こんな状況にありながら、僕は不思議と冷静だった。
 自己防衛の為の逃避だと笑われるかも知れない。あるいは現実を見ていないと批判されるかも知れない。
 それでも僕は冷静に、彼らの巨大化の一部始終を観察していた。
 彼らが、ついに、僕に触れるか触れないかと言うときに変化が起きた。
「あなたと会えて、本当に良かった…」
 女の子だった。安堵しきった口調で、自分の気持ちをぶつけてくる。当の彼女は目には見えなかった。フィルターの警告レベルを最大にしても、彼女はいない。
 それもそのはず、彼女はバーナードに入れてあった、いわゆる空想の女の子と仲良くなるゲームのヒロインだからだ。
 そんな場違い甚だしいゲームの冒頭に、張りつめていた緊張がゆるむ。
 ふとバーナードにやると、ゼリー状の彼らが、まるで浴槽の栓を抜いた時の水のように、竜巻状になって流れ込んでいた。流れを受け止めているバーナードが、細かく振動する。
 そして数分の嵐のあと、彼らはひとかけらも残さず、バーナードに封印された。バーナードは、ゼリーの突進を受けて真っ赤に発光している。
 それを僕は1時間ほど、何をするでもなく眺めていた。というより、こんな状況で出来る事なんて、何もない。
 厳重にロック出来る金庫のような物に入れることも考えたが、それをしたところで彼らを物理的に遮蔽できるとは思えない。
 ただ何もせず、バーナードの発する光を眺めていると、また変化が起きた。
 ゼリー状の物体が、レーザー光線を思わせる1本の赤い筋になって、船の進行方向に延びたのだ。
 好奇心から、レーザー光線の先を追いかける。
 ドアを開け、隣の部屋へ。次、次、さらに次。
 そして船の最先端に位置するブリッジへ到達した。彼らは、船を突き抜けて、宇宙空間に延びていた。
「コンピュータ、フィルターに見えている赤い筋の延長線上を調査してくれ」
『了解しました。』
 空間にディスプレイが現れると、何もない空間を映し出す。まっすぐ延びていたレーザー光線は、すでに肉眼では確認できない所まで飛んでいる。
『レーダーの有効範囲内には、何の反応もありません。』
「わかった。そのまま前方の調査を続けてくれ。」
 コンピュータに指示を出すと、船内の状況を確認する。
 メインコンピュータのコンソールを表示し、ソーサーを叩く。
 異常箇所は見事なまでにオールグリーンを示しており、システムや機関部の稼働率はともに100%になっていた。
 一応、機関部は全点検したほうが良いと考えて、目視による点検をする。細かな部分も徹底的に調べ上げる、十数時間に及ぶ地道な作業の結果、やはり問題は皆無だった。
「結局、原因はメンテナンス不足でも、人的ミスでもなかったわけか…。こんな事なら部屋で寝てりゃよかった。」
 実際、不眠不休で48時間以上行動していた僕の意識は、急激にもうろうとし始めていた。
 ソーサーを叩いて、全システムの通常モードへの切り替えをする。サブシステムは一端全タスクを解放してスリープモードへ移行させ、メインシステムには引き続き、船内のチェックとゼリーの去っていた前方監視を続行させる。
 すぐに何かが報告された。
「2名中1名のクルー体温が異常……。勘弁してくれよ、ミサキお姉ちゃん…」
 疲れた体を引きずりながら、ミサキの部屋へと向かった。

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